ヴィヴィアン・ウェストウッドさん死去 「イギリス・ファッションの女王」

Vivienne Westwood on the Milan Catwalk in 2010

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イギリスのファッションデザイナー、デイム・ヴィヴィアン・ウェストウッドが29日、ロンドンで死去した。81歳だった。ウエストウッドさんのブランドがツイッターの公式アカウントで、ロンドン南部クラパムで「家族に囲まれて安らかに」亡くなったと発表した。

創作活動を共にした夫、アンドレアス・クロンターラーさんは、「ヴィヴィアンと心の中でずっと一緒だ。最後の最後まで一緒に作業していて、これからやるべきことをたくさん託してくれた」とコメントした。

ウェストウッドさんは1970年代に、当時は革新的だったパンクやニューウェーブのスタイルを発表し、議論を呼ぶと共に評価を確立した。その中性的なデザインやスローガンTシャツ、権威をものともしない反抗精神などが、ウェストウッド・ブランドの特徴となった。

Vivienne Westwood

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画像説明, ウェストウッドさんは世界的なファッション・ブランドを作り上げ、20世紀で最も影響力のあるデザイナーの1人と呼ばれた

パンクファッションを生み出し、ハイファッションを制覇し、ニュー・ロマンティックを作り出し、世界的なファッション帝国を築いた。無政府主義の理想主義者で、イギリスのそれまでの権力構図に真っ向から挑みかかり、イギリスを変身させた。腐敗と汚職と世界的な不公正を憎み、若い世代の事なかれ主義を嘆いた。

ファッションは武器になると考えていた。着る者をセクシーにするだけでなく、世界を揺さぶり、みじめな既成概念を打破し、より良い世界を作るための武器だというのが、ウェストウッドさんのファッション哲学だった。

File photo dated 15/02/18 of Dame Vivienne Westwood during the #INEOSVTHEPEOPLE catwalk presentation at the Gran Caffé in London

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画像説明, フラッキング(地層から天然ガスを取り出す水圧破砕法)に反対するメッセージ・シャツ姿でキャットウォークに

社会的テーマのため精力的に活動し、気候変動問題など自ら重視するテーマを作品に取り入れ、世間の注目を引き付けた。

2006年にはファッションへの貢献が認められ、「デイム」の称号を英王室から受けた。

Vivienne Westwood

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画像説明, 2006年に「デイム」となったウェストウッドさん

パンクと革命

ヴィヴィアン・イサベル・スワイアとして、1941年4月にイングランド中部ダービーシャーの村で生まれた。家族と1958年にロンドン北部に移住。小学校教師の教職資格を得た後、最初の夫デレック・ウェストウッドさんと1962年に結婚した。自分のドレスやアクセサリーは自分の手製だった。夫のデレックさんは、掃除機工場のハンサムな見習いで、夜には華やかな服装で街に繰り出すしゃれ者「モッド」だった。2人は息子を1人もうけた。

1965年になり、美術学校に通う弟ゴードンさんが、「天才」を自称する学生仲間をウェストウッドさんの家に連れてきたことで、すべてが変わり、始まった。

このマルコム・マクラーレンさんとウェストウッドさんの組み合わせは、イギリスの歴史で有数の、鮮やかに創造的な関係だった。2人はロンドン・クラパムの小さいアパートに住み、子供を作り、ロンドン・チェルシーのキングス・ロードに古着とレコードの店「レット・イット・ロック」を出店した。そして、世界を揺さぶり、時に世界をおびえさせる文化革命を巻き起こした。

Vivienne Westwood in 1982

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画像説明, 1982年のウェストウッドさん。自分のスタジオで

権威に反抗するスローガンが描かれ、あちこち破れたTシャツに黒いボンデージ・パンツなど、2人が提供するファッションは飛ぶように売れ、やがて「パンク」と呼ばれるようになった。1971年に店のオーナーとなった2人は、店名を「セックス」と改名。自称「パンクのゴッドファーザー」ことマクラーレンさんは、店の常連だったロック・バンドのマネージャーとなった。このバンド、つまり「セックス・ピストルズ」は、ウェストウッドさんとマクラーレンさんが作る服を着て、1970年代後半に一気に知れ渡り、そしてパンク・ミュージックと共にパンク・ファッションを世に広めた。

Punk rock group "Sex Pistols" manager Malcolm McLaren and friend designer Viviane Westwood seen here outside Bow Street Magistrate Court, after being remanded on bail for fighting.

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画像説明, 1977年6月にロンドンのボウ・ストリート治安判事裁判所前で、マクラーレンさんとウェストウッドさん。けんかの疑いで勾留された後に保釈され、撮影した
Vivienne Westwood and staff

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画像説明, ウェストウッドさん(右端)がロンドンのキングス・ロードに開いたブティックで、スタッフと一緒に

ウェストウッドさんにとって、パンクはファッションや音楽以上のものだった。怒りを形にして、政治的な変化や革命を実現するためのものだった。しかし、パンク・スタイルや音楽に夢中になった若者は、バリケードを築こうとはせず、安全ピンを鼻に刺した。音楽に合わせて、世界ではなく自分の体を揺すった。ウェストウッドさんはこれに落胆し、やがて方向性を変えた。

一方のセックス・ピストルズは、ウェストウッドさんがパンクを見捨てたと非難し、上流階級が集まるアスコット競馬場用の「お上品なお洋服」を作るようになったと皮肉った。

成功と革命

時には倒産寸前に陥ることもあったが、1981年には「海賊コレクション」と呼ばれた、いわゆるファッション・ショーを初めて開催。イギリスやフランスの歴史とファッション史を研究し、伝統やエスタブリッシュメント(社会の主流派)をからかうような「ニュー・ロマンティック」スタイルを作り出し、かえってエスタブリッシュメントの支持を得た。

1989年には影響力の高い業界紙が、20世紀を代表するデザイナー6人の1人として、ウェストウッドさんを取りあげた。女性は彼女1人だけだったが、本人は「私に言わせれば、ただ単に事実をありのままに言っただけのこと」だと受け止めた。スーパーモデルのナオミ・キャンベルさんが1993年にヒールの高さ9インチ(約23センチ)の靴を履いて、ショーのランウェーでしりもちをつくと、その紫の靴は飛ぶように売れた。

Dame Vivienne Westwood in 1982

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画像説明, 1982年のウェストウッドさん

ファッション界での地位を固めながらも、ウェストウッドさんは革命を諦めたわけではなかった。その芸術には常に、政治的な目的があった。

伝統的なツイード素材やせんさいなニットを使い、あえてモデルのバストを極端なまでに押し上げるコルセットで、伝統を皮肉ったり、挑発的な政治スローガンを描いたTシャツなどを次々と作った。

Fashion designer Vivienne Westwood and model Laetitia Casta walk the runway during the Vivienne Westwood Ready to Wear Fall/Winter 1996-1997 fashion show as part of the Paris Fashion Week on March 07, 1996

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画像説明, 1996年のパリ・ファッション・ウィークで

1992年に大英帝国勲章(OBE)を授けられたときには、スカートの下に下着のパンツをはかずにバッキンガム宮殿に出向いた。居並ぶカメラマンを前にくるりと回って見せて、衝撃を与えた。もしエリザベス女王がこのふるまいを不快に思ったとしても、表には出さなかったし、数年後にウェストウッド氏はまた宮殿に招かれた。2006年にはデイムになった。

File photo dated 01/03/99 of Queen Elizabeth II (left) shaking hands with Dame Vivienne Westwood at Buckingham Palace, London

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画像説明, エリザベス女王とウェストウッドさん(1999年3月、バッキンガム宮殿)

個人の自由尊重、核兵器廃止、気候変動対策を推進した。エイズ研究を支援し、動物の権利保護団体PETAや貧困に取り組む慈善団体OXFAMを支えた。

緑の党に多額の寄付を続ける一方で、保守党のマーガレット・サッチャー首相も労働党のトニー・ブレア首相も、どちらも厳しく批判した。2015年にはフラッキング(地層から天然ガスを取り出す水圧破砕法)に反対し、保守党のデイヴィッド・キャメロン首相の自宅前に白い戦車を停めて抗議したこともある。

Vivienne Westwood

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画像説明, フラッキングに反対し、キャメロン首相(当時)の自宅前に白い戦車を停めて抗議するウェストウッドさん(2015年9月、オックスフォードシャー・ディーン)

在英エクアドル大使館に逃げ込んだ、内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジ被告のもとを、たびたび訪れ面会することでも知られた。アサンジ被告は2012年、性的暴行の容疑をめぐってスウェーデン当局に身柄が引き渡されるのを避けるため、大使館に逃げ込んだのだった。スウェーデン当局は後に捜査を打ち切ったが、被告は2019年4月にロンドン警視庁に逮捕され、以来ロンドンのベルマーシュ刑務所で拘束されている。

Fashion designer Vivienne Westwood walks the runway at the Vivienne Westwood show during Milan Men's Fashion Week Spring/Summer 2017 on June 19, 2016 in Milan

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画像説明, 「私はジュリアン・アサンジ」と書かれたTシャツを着たウェストウッドさん(2016年6月、ミラノ)

1992年には、かつての教え子で25歳年下のクロンターラーさんと結婚。オーストリア出身で、「ヴィヴィアン・ウェストウッド」ブランドのクリエイティブ・ディレクターになったクロンターラーさんは、次第にブランドのデザインの中心的存在になっていく。

2000年代になると、「ヴィヴィアン・ウェストウッド」ブランドは、世界各地にブティックを開き、服やアクセサリー、小物、靴、下着、ネクタイ、ニット、化粧品、香水、ブライダルなど、多角的なファッション事業を展開する、ファッション帝国となる。

顧客には英王室のユージェニー王女や「バーレスクの女王」と呼ばれるディタ・フォン・ティースさん、映画「セックス・アンド・ザ・シティー」の主人公キャリー・ブラッドショーなどが名を連ねた。

最初にキングス・ロードに開いた店は、今では「ワールズ・エンド(世界の終わり)」と名前を変えて、追従を嫌い抵抗を続けたウェストウッドさんのデザイン作品を売り続けている。

Fashion designer Vivienne Westwood walks the runway during the Vivienne Westwood Ready to Wear Spring/Summer 2006 fashion show as part of the Paris Fashion Week on October 04, 2005

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画像説明, 「私はテロリストじゃない。逮捕しないで」と書かれたシャツを着たウェストウッドさん(2005年10月、パリ)

「イギリス・ファッションの女王」

ウェストウッドさん死去の知らせを受けて、ファッションや政治、芸能など各界から追悼の声が相次いでいる。

イギリスのファッション・デザイナーで元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカムさんは、「伝説的なデザイナーで活動家だったデイム・ヴィヴィアン・ウェストウッドが亡くなったと知って、とても悲しい」とコメントした。

アメリカのデザイナー、マーク・ジェイコブスさんはインスタグラムに、「最初にやったのはあなただった。常に。素晴らしく意味のある内容の詰まった、見事なスタイルだった」、「いつでも必ず、周りを驚かせて衝撃を与えた」とたたえ、共に過ごすことのできた時間に感謝した。

1980年代にウェストウッドさんと知り合ったイギリスの歌手ボーイ・ジョージさんは、「インスピレーションを与えてくれる偉大な存在」だったとして、「まぎれもなく彼女こそが、イギリス・ファッションの女王だった」とたたえた。

ウェストウッドさんの作品を一部所蔵するロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は、「ファッションにおいて真に革命的で反抗的な力」だったとウェストウッドさんを評した。

イギリス政府のミシェル・ドネラン文化相はツイッターに、「とても悲しい日です。ヴィヴィアン・ウェストウッドはこれまでも、これからも、イギリス・ファッションの巨大な存在であり続けます」と書き、「そのパンク・スタイルは1970年代にルールを書き換えました。生涯を通じて自分の価値観を守り続けたことで、広く尊敬されていました」とたたえた。

ウェストウッドさんが長く支持した野党「緑の党」のキャロライン・ルーカス共同代表は、「見事すぎる伝説的な存在で、偉大なインスピレーションの源。素晴らしく創造的で、常に他人やこの惑星のために献身的に活動していた」とたたえ、残された家族や友人たちを思いやった。