「ソウルの女王」アリーサ・フランクリン氏が死去 76歳
「ソウルの女王」として知られた米歌手アリーサ・フランクリン氏が16日、米ミシガン州デトロイトの自宅で亡くなった。76歳だった。
フランクリン氏は3回の米大統領就任式典で歌を披露したほか、公民権運動の力強い支持者だった。
フランクリン氏の死を悼み、数々のエンターテイメント業界や政界の著名人が追悼コメントを発表している。
ビル・クリントン元米大統領と妻のヒラリー・クリントン氏は連名でコメントを出し、「50年以上にわたり、彼女は私たちの魂を感動させてきた」と述べた。
バラク・オバマ前米大統領は、フランクリン氏の歌は「米国民としての共同体験を形作ることに貢献した」と話した。
「リスペクト」や「小さな願い(原題 I Say A Little Prayer)」などのヒット曲で知られるフランクリン氏は、70年にわたる歌手活動で18のグラミー賞を獲得し、米国の音楽チャートで17回トップ10入りを果たした。
2010年にがんと診断され、昨年、引退を発表していた。
遺族は文書で、フランクリン氏は自宅で家族や愛する人に囲まれて亡くなったと述べた。

画像提供, EPA
米国民にとってのフランクリン氏
フランクリン氏は2005年、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)から「何百万人もの米国人の心をつかんだ」功績で大統領自由勲章を授与された。
クリントン夫妻は、フランクリン氏は「米国の素晴らしい国宝のひとり」で、「エレガントで優雅で、その芸術性に決して妥協しない人だった」と述べた。
オバマ氏も妻のミシェル氏と連名で出した文書で、「フランクリン氏の声には米国の歴史が感じられた。その全てとあらゆる影、力と痛み、光と闇、救済への道のりと、辛くも勝ち取った敬意があった」とつづった。
「フランクリン氏は私たちがもっとつながり、もっと希望を持ち、もっと人間らしくなれるよう助けてくれた。時には全てを忘れて踊ることを教えてくれた」
ドナルド・トランプ大統領は「神からのすてきな授かりものの声を持った素晴らしい女性だった」とツイートした。
米自由人権協会(ACLU)はツイッターに「アレサ・フランクリンは公民権運動に力強い声と財政的支援を提供し、黒人女性が無視されないよう尽力した。生涯を通じて人種的正義の支持者だった彼女にお別れを」と投稿した。

全米有色人種地位向上協議会(NAACP)はフランクリン氏を「多くの人の心と魂に響く音楽を作った黒人の誇りの象徴」だと称えた。
公民権運動家のアル・シャープソン氏は「愛する友人であり女王、戦士だった人の死に深く悲しんでいる」と述べ、ジェス・ジャクソン氏も「地球はきょう多くの音楽を失った」と哀悼した。
米航空宇宙局(NASA)は、「アリーサ・フランクリン氏の死を悲しんでいる。我々のネオワイズ計画で発見された小惑星『249516アリーサ』はソウルの女王にちなんで名付けられ、火星の向こうを回り続けている」とツイートした。

音楽業界からも追悼の声
英歌手のサー・エルトン・ジョンは、フランクリン氏を「愛し、あがめていた」と語った。
「アリーサ・フランクリンを失ったことは、本当の音楽を愛する人たちにとって衝撃だ」
ビートルズの元メンバー、サー・ポール・マッカートニーもツイッターに「私たちの魂の女王、長い間私たちを元気付けてくれたアリーサ・フランクリンの美しい人生に感謝しよう」と投稿した。
米歌手のマライア・キャリ-氏はツイッターで、フランクリン氏はインスピレーションで、助言者で、友人だったとつづった。
アリーサ・フランクリン氏とは
米テネシー州メンフィスでゴスペル歌手とピアニストの母と著名なバプテスト牧師の父の間に生まれたフランクリン氏は、マヘリア・ジャクソン氏やクララ・ウォード氏といったゴスペルのスター歌手に師事した。
デビュー当初に所属していたコロンビア・レコードはフランクリン氏の力強い歌声の活用方法を見出せず、初期のキャリアでは苦労を重ねた。
1966年にアトランティック・レコードに移籍してからは大きく才能を花開かせ、「リスペクト」などのヒット曲を飛ばした。
1968年までに、フランクリン氏は米大陸や欧州で「レディー・ソウル」として知られるようになった。
黒人の誇りの象徴としてタイム誌の表紙を飾ったほか、米公民権運動の指導者だったマーティン・ルーサー・キング牧師から賞を授与された。

ヒット曲の数々

画像提供, Getty Images
- リスペクト- 1967年の米ヒットチャートで1位となり、グラミー賞で2冠を達成した
- ナチュラル・ウーマン(原題 (You Make Me Feel Like) A Natural Woman) - 1967年に米ヒットチャートでトップ10に入った
- チェイン・オブ・フールズ - 1968年に米ヒットチャートで2位
- シンク- 1968年の米ヒットチャートでトップ10入り
- 愛の訪れ(原題 I Knew You Were Waiting (For Me)) - ジョージ・マイケル氏とのデュエット。1987年に英米ヒットチャートで1位








